御詠歌 分け入れば み山を伝う いわやでら これぞ仏の 浄土なるらん
■札所本尊 十一面観世音菩薩 山口県文化財
■開 創 由来は不詳であるが、本尊の十一面観音像の胎内に記されている銘に依ると、治承二年(1178)四月十八日給造之。同潤六月十三日作畢。仏師僧禅忍十輪坊生年四十一才。と書かれていることは藤原末期に開眼された尊像であり、寺院の縁起そのものも深く感懐することが出来る(県指定有形文化財)
■特 徴 兄弟山の西南麓朝倉八幡宮の東隣にある。山口文書館所蔵の寺社由来にも寛保元年(1741)寺より藩庁への報告も旧山口鴻嶺の後岩戸平に有り往古観音堂の外仏閣数多並に仏像百体安置真言宗岩戸山願成寺と申伝えの由で大内家代々御崇敬もあった。
今は大破して仏閣仏像宝物旧記等悉失却、只今残居のものは観音の旧跡二王門の石垣其の他寺地旧跡等で往古は真言宗岩戸山願成寺と申伝あり、其れ以後は地下人少々木屋掛観音厨子を祀ったが村里隔れ道悪く第一巡礼の人難儀したので元禄6年(1693)荒廃していた堂宇を朝倉村の給領主宍戸就則が菩提寺として再興萩の享徳寺の三江祖元を招請して中興開山としたとある。
同し項当寺の儀往古の寺名断絶、只今の寺建立の儀は吉敷郡小俣楞厳寺という大破した寺名を当所に曳取御許容宝永元年(1704)建立楞厳寺と云ったが領主宍戸式部家先祖位牌建置寺名大林寺と改めたとあるから廃寺二カ寺を集合したものと思われる。
往古の薬師、十二神将、仁王の古像があったが、昭和4年8月22日に火を発し本尊を除く他は烏有に帰した。
秘仏にて三十三年に一度為結縁開帳。
(周防三十三観音霊場 著者 山下 喜一 より)
観音由緒.pdf へのリンク
◆寺院名・所在地 | 岩戸山 大林寺(曹洞宗) 753-0061 山口市朝倉3-14 |
◆ 電話 | 083-922-7264 |
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