寺院紹介
第31番札所
臨済宗
山高く 麓の月の影さして
いつも絶えせぬ 松風の音
十一面観世音菩薩
当寺は琳聖太子の流裔・大内氏の祖である正恒が創建した寺で普門寺と称した。
延元元年(1336)大内弘道が再建し其の菩提寺として法名瑞雲寺殿恵海浄智大禅定門に因み宝珠山瑞雲寺と改称した。降って大内義隆のとき勅願寺となり当時は永興寺・覚光寺等の末寺を有し七堂伽藍を構えた県下屈指の大寺となったが天文20年(1551)大内義隆が部将、陶隆房(後に晴賢と云う)に襲来されて山口を出奔したときその兵火に諸堂伽藍は悉く焼失し一山は烏有と帰した。
その後天正年間(1573)高峰城主内藤元輔がこの地に一寺を建立し惟松円融禅師を招いて開山し、円通山普門寺と旧名に復した。以来三七〇余年に亘り法灯を嗣いできたが、寛政年間(1789)木喰上人が全国を行脚し数千体の仏像を作ったが上人は山口にも来り当寺に掛錫し不動明王を奉安した。
しかしこの寺が近代有名になったのは、文久2年の幕末に長州藩の藩命に依り帰国した大村益次郎が、山口明倫館の 改組に当り本寺を宿舎とし、藩士を召集して兵学を教えたところで、普門塾或は三兵塾と称した維新の兵舎と云われたことである。司馬遼太郎氏が書いた花神の舞台はこの普門塾であり、広く世人の知るところとなった。
(周防三十三観音霊場 著者 山下 喜一 より)
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